「町の本屋の挑戦〜本にはすべての答えがある」
新春経営者研修会
 新春経営者研修会が、1月7日午後3時15分から札幌市中央区の札幌グランドホテルで北海道書店商業組合理事長の久住邦晴氏(株式会社久住書房代表取締役社長)を講師に迎え、「町の本屋の挑戦〜本にはすべての答えがある〜」をテーマに60余名人が出席して開催された。
 以下、講演の内容の抜粋を紹介する。 (文責:編集部)

久住邦晴氏
はじめに
 私ども書店と皆さま方の印刷業界は大変近いところにあると理解しており、いろいろな局面でお世話になっていることと思う。
 昨年と一昨年、印刷工業組合が主催した「心に響く…北のエピソード」という大変すばらしい企画に参加させてもらった。本来であれば私どもがやらなければならないことだろうと反省をしながら、少しでもお手伝いできれば思い参加をさせてもらっている。この後も続けてもらえれば大変ありがたいことだと思っている。
 昨年、私ども北海道書店商業組合の企画として「高校生はこれを読め」を行った。ポスターをフェアの参加店、図書館に貼り高校生に呼び掛けを行った。「本を愛する大人たちのおせっかい、高校生はこれを読め」。ポスターの真ん中でエプロンをしている人は、私がモデルで本屋の親爺である。7年目になるが「中学生はこれを読め」という企画があるが、その企画の延長で今度は高校生ということになった。この親爺のエプロンに私どもの本への想いが書いてある。「本にはすべての答えがあると私達は信じている。だからあれ読めこれ読めと煩く言う。辛い時、迷った時、そして嬉しい時、高校生諸君にいつも側に本のある人生を歩んでもらいたい」。これが私どもの本への想いである。本にはすべての答えがあると心から信じている。そして私どもの会社もある1冊の本で救われた。閉店の危機を1冊の本で助けられた。

書店の現状
 今、町の本屋、所謂地元の本屋が全国でどんどん数を減らしている。毎年1,000軒の書店が閉店、倒産をしている状況が続いている。2000年に21,000軒以上あった本屋が昨年は15,000軒までに落ちている。いずれは5,000軒になるだろうといわれている。何故そんなに町から本屋か消えているのかというと、大書店の地方進出がある。札幌でも数年前に紀伊国屋書店が札幌駅の隣に大きな店を出した。1,300坪、80万冊という、当時では一番大きな店を出した。新聞もかなり過熱な報道をして初日は20万人の人出があり、4日間で7,050万円の売上げといわれている。売上げ目標が1日1,000万円で年間30億円の書店が突然できしまうと当然周りへの影響は大きなものがある。当時は大丸の中に約250坪の三省堂書店があった。札幌駅のステラプレイスの中に800坪の旭屋書店があった。向いのロフトには約250坪の紀伊国屋書店ロフト店が入っていた。3軒合わせて約1,300坪で1,000万円の売上げだといわれていたが、そこに1,000万円の売上げ目標の書店ができると、当然既存店の売上げは激減したといわれている。紀伊国屋書店は同じ会社で、ナショナルチェーンであるので多少売上げが落ちても何とか持ち堪え回復したといわれていたが、旭屋書店が撤退をして、何故かそこに三省堂書店が入った。ロフトは無くなった。今は大書店同士の争いが全国で繰り広げられている。大書店同士の争いで終わるのであれば私どもは遠くから見ていれば良いと思うが、札幌駅前には地元の書店が何店かあった。皆さんも記憶にまだあると思うが明正堂書店、アテネ書房、なにわ書房の3軒があった。現在、残っているのはアテネ書房1軒だけになった。大通にリーブルなにわがある。今、中央区で弘栄堂を除くと残っているのはこの2軒だけになってしまった。昨年12月1日に北1条西3丁目のビルの1階に200坪で丸善がオープンした。看板は丸善であるがジュンク堂が経営している。丸善、ジュンク堂ともに大日本印刷の傘下に入っている同族会社である。この2店が一緒になって全国で出店を広げている。その中に私ども町の本屋がどうしても巻き込まれ、消えているのが現在私どもが置かれている立場である。
 そしてコンビニエンスがどんどんできて今や飽和状態といわれているが、コンビニエンスが1軒、本屋の側にできると週刊少年ジャンプの売上げが半分になるといわれている。100冊売っていたものが50冊になり、もう1軒できると30冊になり、雑誌の売上げは激減してしまう。日本で一番大きなセブンイレブンの雑誌の売上げは、今は少し落ちているようであるが年間1,800億円あった。日本の一番大きな書店である紀伊国屋書店の売上げが1,200億円といわれているので、それ以上をセブンイレブン、ローソン、セイコーマート等で売っているのが現状である。アマゾンも大変な勢いで伸びている。現在、本だけで900億円くらい売っているといわれている。前年比で何割もの勢いで伸ばしている。いずれアマゾンが紀伊国屋書店を抜くといわれている。さらにゲオ、ブックオフという新興書店が上場して全国に店舗網を広げている。そういう中で本自体の売上げも相当落ちている。1996年のバブルが弾けた翌年がピークであり2兆6,000億円売っていた。昨年は1兆9,000億円まで落ちている。

閉店の危機
 そういう状況の中、私どもの店も年々売上げを落としていた。売上げが落ちた一番の原因は、地下鉄の琴似駅が最終駅であったが2駅延長になり通過駅になったことである。人の流れが一気に減ってしまい、ただでさえ売上げが落ちていた中でさらに売上げを落としていった。月2割以上の売上げを落としていた。ついに2003年9月にこれ以上は店を続けていくことはできないところまで追い詰められていた。そこで止むを得ず閉店を決意した。先ず社員に閉店することを伝えた。申し訳ないがこれ以上は資金が続かないので来年の7月をもって閉店するので皆さんには今後のことを考えていてほしい。そう伝えはしたが私自身としては諦めたくない。何とかどこかにヒントがあるのではないかということで、いろいろな本を読み漁っていた。ある情報誌を見ていた時に、この本で救われる人がきっと居るに違いないと紹介されていた1冊の本が取り上げられていた。書名が「あなたの会社が90日で儲かる」である。早速、取り寄せて読んでみた。その本の中には、「今までの常識はもう通用しない。時代が大きく変わっている中、今まで非常識をいわれた中にこそ成功のヒントはある」と書かれていた。その当時は駆け出しで、今は日本のトップコンサルタントになった神田昌典氏の書いた本である。フォレスト出版から出ている。その本の中には今まであまり考えもしなかった方法で人を集めることがいろいろと書かれていた。この本を読んでいくにしたがい、人を集めるということが自分の中で膨らんできた。売上げがどんどん落ちていく中、売上げを伸ばそうとあらゆる努力を続けてきた。良いといわれることは次から次とやったが、なかなか効果がでない。ついにやることがなくなってしまった。やることがなくなると途方に暮れて、絶望し、閉店という流れになっていったが、この本を読んで人を集めるということがとても新鮮に感じた。小売をやっているということは人を集めるということが原点、原則であるが、私も本屋もあまり人を集めるということを意識したことがない。どちらかといえば甘い業界であった。週刊誌、月刊誌は黙っていてもお客さんが来てくれる。発売日はお客さんの方が知っていることも含めて人集めをあまりやったことがない。この本を読んで人を集めるということがどんどん膨らんできて、人を集めることであればまだまだやることがあるかもしれないと私の中でどんどん膨らんできた。やることが目に見えてくると希望が少し沸いてくる。売上げは別のところに置いて、人を集めようと考えた。人を集めて結果として何かが起きれば良いと考えた。

なぜだ売れない文庫フェア
 経験がないので人を集めるにはどうしたら良いか分からない。早速、三角山放送局というミニFM局をやっている社長の木原くみ子という女性のところに行った。人を集めたいがどうしたら良いかと尋ねると、彼女は2つのことを即座に教えてくれた。1つは人を集めたいのであればマスコミを動かしなさいという。マスコミを動かすとはどういうことかと聞くと、記事やニュースとして取り上げてくれることをやれば新聞、テレビを見て人はびっくりするほど来てくれる。もう1つは経営者を売り込みなさい。あなたが有名になれば人は来る。それは少し厭だと思ったので後回しにして、先ずマスコミに取り上げられることを二人で考えた。私の中には手持ちのアイデアは全くなかったが、やっても無駄だと幾つか隅に置いておいたアイデアがあった。その内の1つに無印本フェアがあった。例えば新潮文庫は現在2,300冊くらい流通している。これだけ数が多いと我々書店も注文するのが大変であるので売れ行きランクというものが付いている。S・A・B・Cランクと付いている。Sランクは一番売れるから平積みしなさいというようなイメージである。Cランクまで揃えると1,500冊になる。Cランク以下の本は700〜800冊ある。これは絶版予備軍として売れないか誰も見向きもしない本である。そこで、それだけを集めて無印本フェアをやったら面白いだろうと考えていた。いずれ楽になったらやろうと考えていた企画であった。それを木原社長に話をしたら彼女は面白いと言い、それをやろうと言う。そんなことやっても売れないというと、売れなくても良いのでしょうという。それはそうだ。面白いので新聞も扱うと思う、名称がまどろっこしいので、売れないのだから「売れない本フェア」にしたらどうだというアドバイスを貰って、何となく納得して会社に帰って、社員を集めて「売れない本フェア」をやりたいと意見を聞いたら、見事に全員が反対であった。当たり前である。そんなことをやっても無理である。何かの本で皆が反対すれば成功するということを読んだことがある。その晩一人で考えて、でてきたフェア名が「なぜだ売れない文庫フェア」である。その翌日からチラシを作ろうということで、わざと貧乏くさくなるようなかたちで私が手書きで二晩かけて書いた。次郎物語が本屋にないのはなぜ?次郎物語は私が中学の時に大ベストセラーになった。今は絶版予備軍として隅の方にある。それは悲しいということで、次郎物語が本屋にないのはなぜ?新潮文庫だけでは足りないのでちくま文庫という面白い文庫を一緒にフェアとして取り上げた。ちくま文庫の日本文学を代表する作家が尾崎翠である。尾崎翠が売れないのはなぜ?売れてないから本屋に置かない。本屋にないから目に触れない。そして絶版になり消えていく。という劇文調のチラシを作った。新聞社に、ただ載せてほしいと言っても無理だろういうことで2つの社会的意義を考えた。1つは私どもの店がそうであるようにナショナルチェーンの進出で町の本屋が消えていく。新潮文庫の売れないランクには良書といわれる昔の文学的な名作がたくさんあったが、売れないというだけで置かない。ナショナルチェーンはどんどん地方に進出していくのでパターン化した品揃えである。新潮文庫であればCランクまで、文春文庫であればランク3までというかたちで出して行く。したがって何処へ行っても同じ本が並んでいる。彼らは一番下の売れない本は絶対に置かないということのアンチテーゼも込めて、このままでは良書がどんどん消えていく。2つの意義を考え、知り合いも誰もいないので北海道新聞デスク様あるいは読売新聞デスク様という無茶苦茶な宛名にしてすべての新聞社に案内文とチラシを送りつけた。どうなるかと待っていたら、翌日2社から取材したいという連絡が入った。毎日新聞と北海道新聞であった。フェアの前の日に北海道新聞が取材をしてくれた。予想以上に好意的で写真まで入れてフェアの始まる当日の10月27日朝に道新に載せてくれた。これを読んでこれは何とかなると思い会社に行ったら、会社の中がざわざわと騒がしい。どうしたのかと社員に聞くと、朝から電話が鳴り止まないという。新聞記事を見てこれから久住書房に行きたいがどうやって行った良いのかという電話が次から次と掛かってきた。シャッターを開けるお客さんが次から次と入ってきて昼くらいには狭い店内が一杯になるくらいであった。その中にSTVのどさんこワイドがやって来て、その日の夕方のニュースで流してくれた。それを見て全道からまた電話がどんどん掛かってきた。翌日にはすべての新聞社、テレビに取材をしてもらった。それで、売れないはずの文庫が売れてしまった。当初は売れない文庫を1,500冊用意したが、これは言葉は悪いが餌というか、これを見に来てくれた方に雑誌や実用書、コミック等を買ってもらえれば良いと思っていたところ、一番先に売れたのが用意した売れない1,500冊の文庫であった。1ヵ月も経たないうちにすべて無くなってしまった。

店内で朗読
 10月の売上げが前年比で15%アップした。何もしなければ2割ダウンをしていたので、上・下合わせて約3割のアップをすることができた。ここまで売れるのであればまだまだ続けていこうということで延長し拡大した。翌2月には第2次売れない文庫フェアということで中公文庫を加えた。このころから東京の出版社の方で私どもの取り組みが話題になり始めた。北海道で変なことをして売りまくっている本屋があるということで、いろいろな出版社が私どもの店にやってくるようになった。その1軒に岩波書店という日本で一番の老舗の出版社がやってきた。この出版社はあまり飛び込み営業をしないところである。突然やってきて開口一番、私どもの文庫が一番売れないので是非置いてほしいという営業をしてきた。売れないのであれば、それでは置こうということで、岩波文庫を第3次売れない文庫フェアとして翌年の5月に全点フェアというかたちで行うことになった。私どもの店は100坪、本だけでいえば約80坪の中規模の本屋であった。岩波文庫は大書店にしか置いていない文庫である。その当時、岩波文庫を全点置いている書店は北海道ではステラプレイスの中の800坪の旭屋書店1軒だけであった。紀伊国屋書店もコーチャンフォーも約900点より置いていなかった。岩波文庫の全点1,407冊を私どもの店に置くことにした。全点置かないとアピールできないということで第3次売れない文庫フェアとして取り上げた。ただやっても勢いだけでは売れない。流石に全点はリスクが高い。何かやらなければと考えたのが朗読である。岩波文庫の名作を店内で朗読し、マイクを使って店内にBGMとして流すことを考えた。そのことを北海道新聞の記者に伝えた。こういうことをやろうと思うが記事になるだろか。そうしたら、それは他の書店ではやっていないのかと言うので、調べる限りではやっていなく、私どもが始めてであると答えた。それなら記事になるということで、第1回売れない文庫フェアと同じく大きな扱いで記事にしてくれた。その代わり、久住さんあなたが読みなさいといわれ、翌日の5月11日から1週間、毎日夕方5時から20分間、店内で岩波文庫を代表する名作である夏目漱石の坊ちゃんを第1章から朗読をすることにした。今では朗読は私どもの店の代名詞に近いかたちになっているが、最初は流石に違和感があり汗だくになって読んだことを覚えている。その記事を大きく載せてくれたので、それを見て多くのお客さんが来た。その中から今度は朗読をしたいという人が次々と現れた。最初は新聞に載れば良いと思い、1ヵ月くらいで止めるつもりでいたが、私も読みたい私にも読ませてほしいということで翌6月にはボランティアの方でカレンダーが全部埋まってしまった。途中でやめるわけにもいかず、その後、日曜・祝日を除く平日と土曜日の夕方5時から20分間、店内では朗読が鳴り響いている状況が続いた。2年前の9月19日が琴似店の最終営業日であったがこの日に至るまで約4年間殆ど休むことなく朗読を続けることができた。朗読では売上げを全く稼いでくれない。ただ朗読は一番メディアが飛び付いてくれたので、私どもの広告塔としては一番の働きをしてくれた。テレビではアナウンサーが私どもの店に来て朗読し、それを収録して放送してくれた。そうやって流してもらうたびにお客さんが来てくれた。

本屋のおやじのおせっかい、
中学生はこれを読め
 そのようなことで売上げは大分回復したが、目標は前年比5割アップであったのでまだ足りない。まだ人を集めなければならない。夕方になると人が居なくなる。お客さんが居ないと溜息をついてふと気が付いたのが、中学生が居ない、高校生が居ないことである。昔は学校帰りの中高生で店内が一杯になった時代もあった。どこで何をしているか分からないが、今、学校帰りに中高生は本屋に寄らない。何とか中高生を呼び戻そうと考えた。そんな目で店内を眺めてみると中学生向けの本が殆ど無いことに気が付いた。勿論、雑誌、コミック、参考書はあるが、所謂、読書としての良質な中学生向けの本が殆ど無い。これはいけないと、その足で紀伊国屋書店、旭屋書店に行き見てみると、やはりそういうコーナーはない。あれだけの大書店になると中学生の読める本があちらこちらにあるが、本の得意な子であれば探せるが、苦手な子ではとても無理な状況であった。
 そこで中学生の棚を作ったので中学生に本屋に帰ってきてと呼びかけようと準備を始めた。私と家内と二人で、今まで読んできた本のなかで中学生の読めるような、そしてただ1つの基準が面白い本を500冊集めて準備をしていた。そのことを仲間の書店に伝えたところ、面白いから一緒にやろうと言ってもらい2004年10月27日に札幌の27の書店で「本屋のおやじのおせっかい。中学生はこれを読め」をスタートすることができた。10月27日は毎年、秋の読書週間が始まる日である。翌年は北海道全域に広がり60数軒まで参加書店が広まった。静岡県の書店が見学に来て、静岡県でも120店くらいの書店でフェアをやってくれた。そこから飛び火をして愛知、岐阜、三重、石川と広がり、今は全国のあちらこちらでこのフェアを展開してもらっている。そのようなことをやって、売上げは5割までも行かなかったが何とか近いところまで回復することができた。そのお蔭でこれであれば何とかなると手応えを感じ、社員を集めて何とかなりそうなのでもう一度皆で頑張っていこうと伝え、その後も人を集めるということを最優先して展開を続けている。何か社員がやりたいと言ってきた時に、それをやればどのくらいの人集まると聞く。3人以上集まるのであればやって良い。売上げがこれだけ上がるといっても私はなかなかうんとは言わない。人が集まれば結果として売上げは伸びる。今でもその方針は変わっていない。

ソクラテスのカフェ
 2005年には地下でソクラテスのカフェという喫茶店を開いた。ある雑誌に理想の本屋ということを聞いたアンケート結果が出ていて、その中で理想の本屋として、本屋には喫茶店が必要だとあった。今はあちらこちらにあるが、その当時はあまり無かった。本屋には喫茶店がほしいという声が多かった。それと古本も置いてほしいという声が多かった。それを見てそれなら当社でもできるかもしれないということで、地下に空いていた喫茶店を安く借り、古本を持ち込み、コミック担当者をなだめて明日からコーヒーを入れてほしいと頼みカフェをスタートした。カフェを開いた一番大きな目的はそこでイベントをして直接、人を集めようということであった。直ぐ作家に声を掛けて講演会を開いてもらった。定期的に毎月作家に来てもらい話を聞くソクラテスのカフェ本談義がスタートし、1年後には大学の教授に講義をしてもらう大学カフェがスタートした。社会人大学のようなかたちで現在も続いている。美術館のボランティアの方に来てもらい美術館の話を聞く美術館カフェ、北大の落研に来てもらい久住寄席などいろいろなイベントを展開している。そのようなわけで売上げは順調に伸びていき何とかなるかと思っていたが、ある日突然売上げが落ちてしまった。

移転オープン
 私どもから800bくらいのところにTSUTAYA琴似店という大きな書店ができてしまった。直営店で450坪の素晴らしい店が出来、見に行ったら品揃えも良い。これは拙いと思っていたら案の定、私どもの売上げは落ち始めてしまった。拙いと思っていたら翌年の春にさらに大きく売上げが落ちた。今度は私どもから3`bくらいのところに日本で一番大きな書店の2,600坪のコーチャンフォー新川店ができてしまった。私どもが一番売っていた参考書の売上げが半分になってしまった。それまでいろいろなことをやって築き上げてきた売上げがゼロなってしまい、そこからさらに下降を続けていった。これでまたゼロからやり直しかと思い溜息をついていた時に一本の電話があった。不動産からの電話で大谷地に出店しないかという誘いであった。それまでも話は結構あったが断っていた。その時は丁度タインミングも良かったので見に行った。初めて行くところであったがとても人が多く驚いた。地下鉄が着くたびに下から人が上がってくる。こんなところで商売をしたら凄いなとその時は思っていた。誘いを受けてから1年後の一昨年の9月30日に大谷地店としてオープンした。流石に人が多く、客数が3倍になり売上げも2.5倍になった。経費もそれに併せて高いので簡単に利益はでないが何とかなるかと思い、琴似でやってきたさまざまなイベントをすべて大谷地店で再開した。方針は同じでありイベントをして人を集める。店自体を人が集まる仕掛けづくりをするとことで、他の書店とは違う品揃えをしている。

町の本屋の強み
 昨年、高校生はこれを読めをスタートした。高校生はこれを読めは、全部で541冊のリストアップをして、本として北海道新聞から出版された。これを私どもの店で全点揃えて、マスコミでも報道してくれたので高校生が夏休みにたくさん来てくれた。しかし、高校生は見に来るだけで本を買わない。少し計算外れであった。
 今年は小学生をやるということで、既に12月の段階で動き始めている。これで中学生、高校生、小学生と、元々やっている幼児の絵本まで含めて、子どもからヤングアダルトまでの本をきちんと揃えて面白い本があると子ども達に呼びかけていく。コミュニケーションを取りながら話しかけながら手渡していく。それが私ども町の本屋の一番の強みであると思っている。昨年は電子書籍元年ということで、様々な機器が発売になり過熱報道も含めて業界の中も大変な騒ぎになっている。そういう中だからこそ直接手渡すという一番の強みを発揮していけるような店を作っていきたい。おそらくビジネス書、専門書はやられてしまうという感じがしているが、子ども達の本はそう簡単にやられない。それを厚くしていって地域の中で生き残っていきたいと思っている。

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