米国で端を発したTOYOTA車のアクセルペダルやEV車のブレーキ不具合問題は、燎原の火のごとくヨーロッパ諸国、中国、そして我が国等へと広がり、今もって訴訟王国米国でユーザーから訴訟が相次ぐなど、経営的な苦境を強いられているようだ。
最近こそこの類のニュースは沈静化した感があるけれど、昨年末からつい先日まで毎日、テレビや新聞報道を見聞きし、あるいは経営陣の記者会見での対応を見聞きした感想として、経営陣の慢心に近い対応がさらに油に火を注いだのではと思ったのは、私だけだったろうか。
とくにEV車のブレーキ不具合に関して記者会見等で発せられた経営陣の言葉として「強くブレーキを踏めば、ノンプレブレム」、「コンピュータ制御技術は法基準をクリアしており、運転者のフィーリングの問題」、ETC…。発言を裏返しにすると。TOYOTAの車は完全無欠であって人間はその車に慣れろ、というような対応ではなかったか。そもそも機械とかコンピュータは、人間の快適で安心・安全な生活、経済活動における生産性や効率性をサポートするために活用するものであるはず(と思う)なのに、経営陣の言葉は逆転したものだった。
結果としてTOYOTAは世界中の消費者からバッシングに遭い、我が国の所管大臣からさえ同じような発言がマスコミを通じて流れるや、遅まきながら大規模なリコールを監督官庁に届け出たのはお粗末極まりない。
これら不具合の対応の不味さについて、マスコミや経済評論誌等はリスクマネジメントの失敗云々と喧伝しているけれど、まぁ、こうした高尚な話は世の経営評論家にまかせておくとして、我々、庶民というか消費者にとっては「消費者目線が足りないのでは」というのが素直な感想だったろう。
「消費者目線」。ひるがえって、我々が生業(なりわい)としている印刷業はどうだろうか、ICT時代の大きなうねりにもまれながら、社会に必要な産業、そしてお客様に必要な企業として生き残るため業態変革を進めている最中にある。その深淵にあるのが、お客様の真意を正しく捉えて製造業プラスサービス業としてお客様から満足いただける製品やサービスをお届けすることに尽きる。
我々は「カイゼン」「ジャストインタイム」「看板方式」をTOYOTAから学び、経営に活かしてきた。そして今回の問題では「消費者目線」の大切さを学ばせていただいた。
とはいうものの、同時に我々の多くはサービス業的目線という言葉を概念として理解しても、業態変革で問われているサービス業としてお客様の真意を反映する仕組みや手順をどこまで構築し、それらを、どこを切っても金太郎飴のごとく末端までブレークダウンしているのだろうか、という疑問がないわけでもない。今回のTOYOTA問題を我々の問題や課題として置き換えて、しっかりとした対応をしていかなければならないと思う昨今である。