〔第1部〕 |
|
テーマ |
「色弱者の本音」 |
講 師 |
栗田正樹氏 |
|
NPO法人北海道カラーユニバーサルデザイン機構副理事長
有限会社ソノーク代表取締役
一級建築士
北海道工業大学非常勤講師 |
|
栗田正樹氏 |
ここに花火が見えているが、私は色弱なのでこの花火は紫と青が見分けにくい。緑と黄色が区別しずらい。大通公園でクリスマスの時期にホワイトイルミネーションがあるが、何種類もの色があるがやはり黄色と緑の区別が付きにくい。
色弱者の本音ということで昨年4月から20数回、北海道カラーユニバーサルデザイン機構で北海道新聞に記事を書かせてもらった。大変反響をいただいた。
色弱の呼び方はいろいろある。色盲、色弱、色覚異常、色神異常、色覚障害とかいろいろな呼び方をされてきた。カラーユニバーサルデザイン機構(CUD)はまとめて色弱と呼ばせてもらっている。色盲というのは色が盲ということで見えないという誤解を招く、色覚異常というと異常者に思われるので色弱と呼ぶことにした。
カラーバリアフリーというと色弱者にだけ配慮した形になり、一般の人も見えやすいものということでカラーユニバーサルデザインとした。
私の場合、祖父が色弱者であるが薬剤師であった。色弱者は今は薬剤師になれるが昔はなれなかった。10年間試験を受け続けて、きっと温情試験官がいて受かったのだろう。薬を調剤するときには似たような色が多いので祖母が調合していたという危ないことをやっていた。祖父が色弱だと孫に出てくる。一番上の兄が色弱で2番目の兄は色弱でない。
私は小さい頃から絵が大好きで茶色と赤のクレヨンが分かりずらかった。小学校のときに物語を聞いて絵を描くときに空をくすんだオレンジにしようと思ったら緑色になっていて褒められたということもあった。絵が好きであったのでデザイン学校に進もうと応募要項を取り寄せて驚いた。担任の先生も知らなかったが、色神異常者は受験不可となっていた。仕方なく早稲田大学の建築学科に入った。建築は白黒なので色弱でも大丈夫であった。実際は建築の色は薄いグリーンとか薄いベージュとか結構微妙な色が多い。設計事務所なので何人かスタッフがいたので、自分はそういうところにかかわらないということやプランニングをするということで問題がなかった。その後アニメの制作の現場に入ったが、コンピュータで色を塗るアニメーションであったので自分は何色を塗っているか分かるので困らなかった。
色弱で困ることはたくさんあるはずだが、色弱の人は色で困っているという認識があまりない。学校の社会の授業での分布図とか地下鉄の路線図は困る。麻雀の時は、雀荘は大体暗いので緑一色は分かりずらい。濃い緑色の服を濃い茶色の服だと思って5年間くらい着ていた。赤のレーザーポインターは見ずらい。タクシーの空車と実車が分かりずらい。焼肉は焼けているか分からない。メロンの実と皮の境が分からない。顔色が分からない。黒板の赤のチョークは分かりにくい。などいろいろとある。色弱の人は相当困っていると思うが、生まれた時からその世界にいるのでそんなに困っているという自己認識がない。
色弱の本因者とは、色弱の遺伝子をもっていて本人が色弱でない女性のことをいう。女性の10人に1人が本因者である。日本人の色弱者は310万人を超える。札幌市の人口が180万人であるので310万人というと相当の数である。男性100人のうち20人は色弱者である。女性の本因者の方が実際の色弱者より多い。
簡単に目の仕組みを説明すると。目というのは光がガラス体を通して網膜に映り、赤と青と緑を感知する3つの視細胞がある。
印刷物の中にもカラーユニバールデザインという考えが浸透してきている。
色弱の人の方が一般の人より暗いところでの見え方がいい。有名な話では軍隊で色弱の人を集めて夜戦をやったということもある。川の中の魚を見つけることも得意だという人もいる。
〔第2部〕 |
|
テーマ |
「今、なぜUDなのか?」 |
講 師 |
伊藤裕道氏 |
|
CAN有限責任事業組合代表
正明堂印刷株式会社代表取締役 |
|
伊藤裕道氏 |
現代社会はカラー化が進み色は重要な情報伝達の手段になっている。色覚障害者には色の識別が難しく情報が伝わらない場合がある。それを伝えるのがユニバールデザインであり社会的に求められている。一般の人にも色覚障害者にも分かりやすくする必要がある。色覚障害者は特定の範囲で一般の方と違い見え方が違う。しかし、色覚障害者は一般の方より明度の差が感じやすい。一般の方は緑から青は識別しずらい色であるが、色覚障害の方は見えやすい。どの色というとおかしいが、青から茶に変わっていく方が分かりやすい。この調整をできるのは色のプロである印刷会社である。色というのは目で光を捉えて頭で考えるものであるので、一般の方でも赤色が同じ赤色に感じるかどうかは分からない。色覚障害の方もこういうように見えるといっても結局は人によって脳で考えるわけであるので実際の見え方は誰にも分からないということがあるが、大体はこう見えるであろうということで我々はシュミレーションをしている。人間はRGBで捉えているが、RGBの資質物の一種類が機能しない方を2色型、一般の方は3色型である。この2色型を昔でいう色盲である。3色のうち1色の感じる方向がずれているのが昔でいう色弱である。2色型、3色型でも赤の機能があまり良くない方、緑が良くない方、青が良くない方によって第1障害、第2障害、第3障害と言い方が変わってくる。そのうちの99%の方が第1、第2色覚障害である。第1と第2の違いは赤が少し黒っぽく感じる。その方に対応することで99%の色覚障害者に対応できるという考えが色のユニバーサルデザインの基本形である。いろいろな程度の方がいると思うが、一番強度の方に対応すると低度の方もカバーできるという考え方で進んでいる。
色覚障害のシュミレーションソフトとして、いくつかのツールがある。ここにある画像のシュミレーションソフトはイラストレーターで作ったものをPDFに取り込んでシュミレーションするやり方である。気をつけなければならないのは、CMYKで作ったものをCMYKでシュミレーションをかけると多少色が違ってくるので、RGBに変換してシュミレーションを掛けなければならない。MacとWindowsでもかなり色の違いが出てくる。
今までは色のユニバーサルデザインということでやってきたが、今年からメディアユニバーサルデザインに変わった。色のユニバーサルデザインはどうやって始まったかというと、組合員の奥さんがカラーコーディネーターをやっていて、その人が色にもバリアがあるのではないかということで東印工組の墨田支部へ提案した。2003年に墨田支部で色のバリアフリーの活動を始めた。色覚バリアフリープレゼンテーションの活動をしていた東京大学の伊藤先生を招いて勉強会を開催した。これを印刷物に反映させようということになった。どうやって印刷物に反映さえるかということで伊藤先生と相談して、見ずらい東京の地下鉄マップのコンテストをしようということになった。そのころの考え方は色覚バリアフリーということで、色覚障害者に見えやすいようにというのが前提であった。線種を変える方が殆どであった。これだけでは色覚障害者用と一般用と2種類を作らなければならない。これでは違うということで提案をした。CANでいうバリアフリーは障害を取り除く、UDはバリアを取り除いてなお且つ一般の人にも見やすいのがバリアフリーだと考えている。色覚バリアフリーから色のユニバーサルデザインという方向に進んだ。CANでノーマライゼーション推進連絡協議会を立ち上げている。CANとういう名前はこういう考えをもって作られた団体でどちらかというとユニバーサルデザインよりもっと大きな考え方を持っている。デンマークでスタートして全ての人が普通の生活を営むうえで困難を感じることのない成熟した社会に改善していこうという運動である。ユニバーサルデザインより大きく捉えた考え方である。
カラーユニバーサルデザインマニュアルを発行した。我々の活動は3大新聞、TBSラジオに取り上げられている。最近は朝日新聞全国版に掲載されたが、それにも全印工連のメディアUDコンテストが取り上げられている。CANの色のUDはさらに進化して色のUDを基にもっと有効な情報を加えて多くの方がより使いやすいUDを提案してきたが、全印工連の賛同を得て色のUDからメディアUDに変わった。メディアUDのコンテストは色だけのコンテストではない。基本的には色のUDは入っている。それに他の情報を加えより使いやすいものにする。例えば高齢者にも使いやすいように工夫をする。そうすると色覚障害者と高齢者の両方が使いやすいものになる。色だけでないというのは、印刷物だけでなく、ホームページやサイン等のメディア全体に広めたいということである。より成熟したユニバーサルデザインを目ざしている。
色覚障害者は障害認定になっていない。そのために官庁はどちらかというと尻込みをしている。最近は取り入れようになってきたが、あまり積極的ではない。色覚障害は遺伝であるので官庁は積極的でないという話を聞いたことがある。
全印工連のメディアUDコンテストが開催されるがCANからの提案がある。メディアUDコンテストの応募にあたり、官公庁に提案してタイアップを得て応募してほしい。そうしてそれが仕事に繋がれば一番いい。四国では全青協として市に提案してみたいということであった。北海道もやってみてはどうか。多くの応募をお待ちしているので各社のアイディアを生かした提案をしてほしい。色のUDは作り方は1種類でなく何種類もある。