印刷燦燦
ネコ嫌い

常任理事・旭川支部長
則末 尚大
第一印刷株式会社代表取締役

 わが家の4畳半に6匹のネコが住んでいる。アルミサッシで2畳ほど増設したり、居間との境を格子戸にしたり、ネコエサだ、ネコ砂だと金に糸目をつけない──ほどではないが、それぞれ色も顔も声も違う親子ネコの跳んだりはねたり、ひっかいたりの凄まじさ、人間の子育てと違った団らんの様子に毎日驚きの目を見張っている。
 うちの子ネコ5匹の名前はエドガー、ラン、ポー、スー、クロという。推理作家エドガー・アラン・ポーからもらってつけた名だが、アランとなる筈のがメス猫ということでランとなり、もう1匹のメス猫はキャンディーズの縁でスーとなった。クロは黒いからと単純につけた名前である。
 母猫ニャンコが、拾われネコとして人を介して来たときは、腹がもっこりで身ごもっているのではないかと近所の獣医さんに診てもらったが、ただの太りすぎでしょ、とのこと。野良ネコ生活中の食いすぎとストレスのせいか同じ浮浪児でも食うものがなくてやせ細っていた35年前の自分の学生時代と比べてみたりもした。ところがその太りすぎのニャンコがそれから間もなく出産したのである。
 少年時代に化け猫映画をみて育った私としては、もともとネコは嫌いである。あののっそりした動作で突然忍者のように高い所に跳びのったり、そこからまばたきもせず見つめている眼や、もの知り顔で近づいてきたり、媚びるように体をすりよせてきたり、そんな油断ならない身のこなしがどうも不気味に思えてならない。だからネコのいる家を訪ねるのも厭でしょうがなかったのである。それが一旦同居するとこんなに馴染んでしまうのかと思うと情けない。自らの無節操を恥じ、人の前では相変わらずのネコ嫌いを装うしかないのである。
 ネコはいつも自然体で、しかも毅然として我が道を行く。私も自然体で、己れの意志を強く持ちたいと思っているが、どうも私はイヌ族に近いようである。イヌ族が悪いというのではない。相手の顔色を大事にし、全体の調和をはかろうとするのは社会に生きる者として必要なことである。しかし、それにしてもITに媚び、デジタルに舌なめずりをし、流行の波に右往左往している姿は、いただけない。今、業界では「本木昌造」にスポットをあてている。活字の原点に戻り、文化をあらためて考えてみようということかと思う。イヤ、おっと危ない。無自覚に流されてばかりではネコ達に馬鹿にされる。