2005計画最終極限の戦略
全日本印刷工業組合連合会 会長 中 村 守 利 氏 |
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平成14年度第1回全道委員長会議、平成14年度上期全印工連北海道地区印刷協議会が、7月9日午後1時から札幌市中央区の札幌パークホテルで開催され、全日本印刷工業組合連合会の中村守利会長による講演が行われました。 講演要旨をご紹介します。 (文責:編集部) |
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全印工連は現在、2005計画を中心に運営を進めているが、最近まったく別の角度から2005計画と自社の経営を眺める機会を得た。それはサッカーのワールドカップである。我々に大変大きな刺激を与え、教訓を残してくれた大会だったと思う。 ワールドカップの長い歴史の中で、これまで開催国が一次リーグで敗退したことは一度もない。驚くべきことである。 なぜ、開催国になると強くなるのか。 日本は2回目の参加であるが、前回は一勝もできなかった。それが、初戦のベルギー戦を引き分け、次のロシア戦に勝利して一次リーグを突破した。 韓国はもっとすごい。これまで14戦して一度も勝ったことがなかった。15戦目となるポーランド戦で初めて勝利したが、初出場以来、実に48年振りだそうである。一勝するのに48年もかかったチームが、その後も勝ち続け、ベスト4までいった。 確かに選手は猛烈に練習し、監督も素晴しいコーチングをしたと思う。しかし、日本や韓国だけが頑張ったわけではない。全世界のチームが物凄い練習を重ねてきた。その中で勝ち進んでいくということは、何かここにヒントというか、エキスがあるのではないか。 教訓を残したワールドカップ 現在、日本の景気は悪い。底を打ったといいながら、中小企業にとってそんな実感はない。アメリカ経済に頼るところが多く、まだどうなるか分からない。塩川財務相などは日本経済は崖っ縁にあると言っている。 そうした暗い気持ちの中で、ワールドカップから大変大きな興奮、感激をもらった。小泉首相は、サッカーにあまり興味がなかったようだが、ベルギー戦において土壇場で同点にされた時には机を叩いて悔しがったそうである。 サッカーのワールドカップほど、世界中が燃える大会はない。私自身も含め多くの人がこの熱気に巻き込まれた。試合の結果が気になるので、家に帰ったらすぐにテレビのスイッチを入れていた。全くサッカーが分からない人も、今回のワールドカップには気持ちで参加したのではないだろうか。 韓国は日本以上であった。全国民をあげて支援し、応援も凄かった。あんな興奮は今までなかったのではないかと思う。ワールドカップによって、これまでとは違う、新しいものの見方をする機会を与えられたような気がする。 ライバルから第二のお客に 今回のワールドカップは、共創ネットワークという観点からみて大きな意味があった。両国が共創ネットワークの入り口に立つことができた。今まで韓国は日本を拒否していた。日本も韓国という国民性に対して拒絶反応、嫌悪感を抱いていた。そういう両国の関係がワールドカップで一変した。 共催ということで互いに応援し合ったが、とくに日本が負けた後は日本から多くの人が訪韓し、韓国の人と一体となって韓国チームを応援した。日本の若者の応援ぶりを見た韓国人のアナウンサーが「日本人の持っている感情を初めて見たような気がする。もし韓国が先に負けていたら日本をここまで応援できたのか分からない。日本人を初めて見直した」と言っていた。 同じアジア、東洋でありながら反目し合ってきた二つの国が、ワールドカップで手をつなぎ、心のわだかまりが解消できたのは、大きな成果だったと思う。 2005計画でいう共創ネットワークは、これと同じである。物のやりとりではない。底辺にあるのは心であり、共創ネットワークの理念は、心を通い合わせられる仲間を作ることである。依然は仲間といってもライバルだったが、これからの仲間はクライアントに続く第二のお客である。「心の通じ合う仲間」──これが共創ネットワークの理念である。 全国民一体の応援が勝利呼ぶ もう一つ重要なことは、シェアード・バリューである。バリューは価値で、シェアードは分け合うとか共有するという意味である。シェアード・バリューとは互いの価値観を共に持ち合うということである。シェアード・バリューの重要性が今回のワールドカップで証明されたと思う。選手、サポーター、一般の人が一体となって支援したことによって、今まで勝ったことがなかった日本も決勝リーグに進出することができた。 韓国の場合は、本当に素晴しく、初戦に勝った時などはグランドが赤一色になった。ソウルの街も508459道路が埋め尽くされ、窓から紙吹雪が舞った。あの赤シャツは600万枚売れたそうである。48年振りの勝利に韓国は燃えた。悲願の一勝のため、選手とサポーターと国民が一体の選手団となった。 このように価値観を共有して皆が一体となった時に奇跡が起きる。潜在能力が発揮され不可能なことが可能になる。だから、開催国は負けない。 このシェアード・バリューは、2005計画の最終極限の戦略である。2005計画は特色を持つための戦略を作り、そして、それを深めていって、共創ネットワークまで持ち込むというものである。その深めていくというところにシェアード・バリューがある。入り口は戦略であり、出口はシェアード・バリューである。価値観の全社員共有である。全社員が共有した時には本当に奇跡が起こる。太陽光線をレンズで一点に集中すれば発火するほどのエネルギーになるように、全社員のベクトルを合わせれば、物凄いパワーが生まれる。 シェアード・バリューで実際に急成長した企業がある。代表的なのはアサヒビールとホンダである。 アサヒがスーパードライを出した当時はビール業界でのシェアは9.8%で最下位であった。このままであったらキリンやサッポロに吸収されてしまう。何とかして他社にないものを作ろうと、キレとコクという二律背反の性質を持つビールを作ることになった。社内に反発もあったが、これをやらないとアサヒはなくなるということで、全社員が一つになった。お金も人もスーパードライに集中し、宣伝もスーパードライ一本に絞った。 全ての経営資源を一つの事業に集中 あらゆる経営資源を集中したことで、スーパードライは爆発的に売れた。9.8%に過ぎなかったアサヒのシェアは40%近くまで伸び、48年振りにキリンを抜きトップになった。単に他社にない製品を作っただけでは、ここまでは行かない。会社員がシェアード・バリューして一丸となって一つの方向に向かったから奇跡的とも言える結果を生み出したと思う。 ホンダも同じである。昭和40年代の半ば頃、光化学スモッグで子供たちがバタバタ倒れるという出来事が東京・中野で起きた。マスコミは車の排気ガスが原因と一斉に報じた。これを見た本田宗一郎社長は「我々が作っている製品で人が死ぬ。これは大変なことだ」と、役員にも知らせないまま記者を集めて「ホンダは1年で低公害車を作る」と宣言した。 ちょうどその頃、アメリカではマスキー法という車の排ガス規制法が制定された。5年間で排ガスを10分の1にするという内容で、ビッグ3をはじめ日本のトヨタや日産も猛反対した。そういう状況の中で、本田社長は1年で低公害車を開発すると宣言してしまった。社内は大変な騒ぎになったが、発表したからにはやるしかない。 しかし、ただ低公害車を作ろうというだけでは社員は動かない。何かテーマが必要だ。全社員の心を一つにするような理念、ポリシーがないか、激論の末、「次世代に青い空を残そう」ということを決めた。ホンダという企業のためにやるのではない、次の時代を引き受けてくれる若い人たちのために青い空を残す、ということで開発プロジェクトはスタートした。 崇高な理念の下全社員が一丸に この崇高な理念のもとで、ホンダは社員が一丸となった。結果11ヵ月で作ることができた。早速、車をアメリカに持ち込みテストを受けた。しかし、思いも寄らないことが起きた。テストに落ちてしまったのである。そんなはずはない。日本でやった時はクリアしたのに、どこかおかしいということで、調べたらキャプレターが故障していた。 実はここに一つのエピソードがある。シェアード・バリューすることで思いもよらぬ能力が発揮される、「念」が生まれるということを証明するエピソードである。どういうことかというと、開発メンバーの一人が車を船積みする前の夜に夢を見た。キャブレターが故障しているという夢である。だから予備のキャブレターを持っていくといったら皆から笑われたそうである。しかし、その人はカバンに入れて持っていった。予備のキャブレターがあったから、試験官に泣き付いて再試験を受けることができた。それで奇跡が起きた。 ニュースは世界中に発信され、欧米のメーカーがエンジンを使わせてくれと殺到した。これを機にホンダは急成長を遂げていくことになる。自動車業界では中小企業に過ぎなかったホンダが、思いきったシェアード・バリュー戦略で今や世界に冠たる企業になった。 シェアード・バリューで成長している企業はこの2社だけではない。我々の仲間にもいる。自社の戦略、ポリシーを決め、それに対して社員が一丸となって向かっていけば、物凄い企業になれる。それが2005計画の最終点である。それができた時初めて、共創ネットワークに通じるのである。
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