印刷燦燦
道南の秘境
常任理事、函館支部長
安達 隆二
ヤヨイ印刷社長

 春、つりシーズンが到来すれば、月に1、2度は出掛ける矢越岬周辺の磯、矢越岬は「松前矢越道立自然公園」の中心であり、上磯郡知内町の西南端の津軽海峡に面し、松前郡福島町との境界に位置する。
 海抜30メートル余の断崖絶壁には無人灯台が津軽海峡を遠望し、眼下の岩に砕ける波の飛沫と共にその景観は豪快そのものである。
 矢越海岸一帯は安山岩質集塊岩の海食崖で知内町元町より「小谷石渡島知内線」で涌元・小谷石間、蛇ノ鼻、長磯岬、狐越岬、ナマコ岬、小谷石漁港より渡船で影泊島、イカリカイ島、タロベイ島を経て矢越岬東側の舟着場迄の間、形も名前も奇妙な奇岩、怪石の連なった険しい景観である。また福島町福島より「岩部渡島福島線」の終点、岩部漁港より矢越岬までの「つり場」へは、磯渡しの舟が唯一の足である。亀岩、船隠島、マツクラ岬、ツヅラ沢、マスダの沢、ヤマセドマリを経て矢越岬西側の舟着場へ。周辺の磯はいずれも足下から急深のドン深で精一杯投げても餌は足下の海底に、海はあくまでも青く、しかも透明さはこの上もなく……春のホッケ、カレイ、初夏、晩秋のアブラコ、ソイ、ババガレイの大物への期待度は大きい。
 さて、岬には無人の矢越岬灯台と義経伝説や人身御供伝説で知られる矢越八幡宮があり、海峡をへだてて青森県の龍飛岬をのぞむ景勝の地だが前後の海岸は崖続きのため岬までの道はない。また、この岬を境に潮流が変わるので、昔から航海の難所とされており、近世まで船がこの沖を通るときには、航海の安全を祈願して帆をおろし、岬に向かって矢を射かけたり(矢越の地名のいわれ)、酒をあげ拍手をして通過したと伝たえられている。このように、簡単に人を寄せ付けない大自然の残るこの矢越海岸一帯は、道南の秘境と呼ばれ船での遊覧で壮大なパノラマを楽しむことができる。この秘境たる所以は、明治以前には、函館から松前までの道は、福山本道とよばれたが、本道とは名ばかりの粗末な道で、特に、知内から福島までの知内山道(福島峠)は管内でも名の通った峠とされ、渓谷或いは山腹を巡る険しい道が続き、僅かに人馬が通れる程度で、冬期は雪が深く往来が途絶する難所だったと言う。そんな事で明治以後、松前までの道路開設は、知内山道の開削が至難の難工事だったようである。一方、大正になって、知内町では涌元と小谷石を結ぶ道路開削が多年の宿願であり、この路線が福島に通じる従来の知内山道よりも工事の容易な路ならば、いっそのこと新路線として開削して福島に連結した方が産業開発に大きく寄与すると言う構想が打ち出され、大正13年福島・知内間のうち、涌元・小谷石間の工事に着手、翌年完成をみたのが、矢越海岸道路の先駆けである。
 しかし、その後は遂に福島までの延長は実現せず、国道として知内山道の整備が進められ、現在の国道ルートとなったのである。矢越海岸をとおる国道が実現していれば、知内はまた変わった展開になったかも知れないと、「知内歴史散歩」に記述されているが、実現しなかったことを密かに喜んでいるのは、筆者だけであろうか、この天の恵みは是非次の世代に遺したい。この稿の資料は知内町郷土資料館のご好意により使用させていただいた。