平成13年7月9日、東京地裁が判断
「製版フィルムの所有権」問題、
再び印刷会社が勝訴する
〔デジタル化以後、初の判決〕
 平成13年7月9日東京地方裁判所において、デザイン会社と印刷業者間で争われていた「製版フィルムの所有権の帰属」について、印刷業者に有利な判決が下された。これは、印刷会社が、受注した印刷物の製版フィルムを発注者に無断で廃棄したことにより損害を被ったとして訴えられたもので、製版フィルムの廃棄にかかる損害賠償請求は棄却された。参考のため、その内容を詳しく紹介することにしたい。

 印刷業界には、永い歴史と相まって商習慣上のさまざまな理由から、お得意様との取引関係での法的な争いを自らは好まない傾向が見られ、したがって、取引に絡む「判決」がほとんど見当たらず、昭和55年の東京地裁による「製版フィルム所有権は印刷会社に帰属する」とした「グラビア印刷用のフィルムを巡っての判例」と平成2年の東京高裁による「版下の所有権は印刷会社に帰属する」という判例を手本としてきたのが実情である。しかし、その後すでに10年余が経過しており、当時では予想できなかった「業界のデジタル化」進行の真っ只中での今回の判決は、現段階でのひとつの社会的な判断基準として持つ意味は大きい。

(1)事案の概要
 本件は、原告が被告(印刷業者)に住宅専門雑誌の印刷及び製本を依頼したところ、被告がその過程で作製した製版フィルムを廃棄したため損害を被ったとして、次の件で争われ、製版フィルムの所有権の帰属及びこれを廃棄した被告の損害賠償責任の有無が主な争点となった。
 ・原告が被告に損害賠償請求する事件
 ・原告が印刷及び製本代金支払いのため振り出した約束手形の手形金を被告が請求する事件

■事実関係
(1)原告は被告(印刷業者)に対し、平成5年11月初旬に住宅専門誌「A雑誌」VOL―1(平成5年12月3日発行)の、平成6年5月初旬に同誌VOL―2(平成6年5月5日発行)の、平成6年10月下旬に同誌VOL―3(平成6年12月15日発行)の印刷及び製本を発注し、被告はこれらをいずれも受注した。
(2)被告(印刷業者)は、被告が本件雑誌を印刷する過程で作成した製版フィルムを製本完了後に廃棄した。
(3)原告は、本件雑誌の印刷及び製本代金支払いのため別紙手形目録記載(掲載省略)の約束手形金1通を被告に振り出し、被告は、同手形を支払提示期間内に支払場所で提示した。

■原告の主張
(1)本件製版フィルムは原告の所有であり、そうでないとしても、原告と被告との間には、本件製版フィルムを引き渡す旨の明示又は黙示の合意が存しており、また被告が原告に無断で本件製版フィルムを廃棄したことは信義に反する違法なものである。
(2)原告は、被告が本件製版フィルムを廃棄したので、本件雑誌の増刷をするためには本件製版フィルムを再び作成するほかなく、その製版費用相当額の損害を被った。
(3)よって、原告は被告に対し、VOL―1につき内金△△△△万円、VOL―2につき内金△△△△万円、VOL―3につき内金△△△△万円の賠償を求める。
(4)本件約束手形は本件製版フィルムの引渡しと引き換えに支払う。

■被告(印刷会社)の主張
(1)原告の主張(1)は否認する。製版フィルムは、請負者が請負の過程で自己調達した材料をもって作成した中間生成物であり、請負業者が注文者に引渡すべき請負契約の給付物ではないから、請負者の所有に帰属するというべきである。
(2)原告の主張(2)と(3)は争う。本件製版フィルムは印刷という本来の目的を達成して役割を終えている。また原告が何年も前の情報しか載っていない本件雑誌を再版することの可能性は疑問であり、得べかりし利益の立証がない。また再版の際には広告掲載料は支払われないから、再版したとしても販売の利益は少ない上、どの程度売れるかについても疑問である。したがって原告主張の損害は立証がなく認められない。

(2)東京地方裁判所の判断
■本件製版フィルムの所有権について
(1)通常、書籍の出版工程は、大きくみて、製作・印刷・出版に分けることができ、まずデザインや内容が決められ、これを基にして「版下」が作成され、この「版下」にカラー写真を組み入れる等して「製版フィルム」が作成され、これに基づいて印刷機にかける「刷版」が製作され、その刷版を印刷機に設置して印刷した上、刷り上った紙面を規格に合わせて裁断、製本して出版するという過程をたどる。この流れは本件雑誌の出版についても大きな違いはなく、ただ本件では、原告又はその指示の下に被告の従業員が予めコンピュータを使用して図版や編集記事を組み込んだデータを作成し、被告がこのデータと原告から交付を受けた写真等を使用して本件製版フィルムを作成したため版下が作成されない点において、上記の作業工程と異なっているということができる。
 また、通常の場合、製版フィルムは、印刷会社がその色合いやレイアウト等について注文者の指示を仰ぎながら作成するものであり、印刷会社の独断で作成されることはなく(このことは書籍の印刷及び製本を請け負う契約の趣旨から容易に理解される。)、本件製版フィルムについても、被告が色合いやレイアウト等について原告の指示を仰ぎながら協議の上作成された。
 このように製版フィルムの作成は色合わせや色着け等煩瑣な技術的作業が必要であり、その費用も一般に高額となるが、本件では、VOL―2の製版料として△△△万円が見積もられており、VOL―1、VOL―3についても同様の費用が必要であったことが推認される。
 そして、書籍を再版する場合に既存の製版フィルムを利用することにより、単に製版フィルムを再び作成する費用を節約するというだけでなく、出版までの期間を短縮するという点で大きな利点があることは容易に理解することができる。

(2)原告は、平成5年11月初旬、住宅専門誌「A雑誌」の発刊を計画し、被告にVOL―1の印刷及び製本を依頼した。当初、原告はコンピュータを備えていなかったので、被告が同社のコンピュータを使用してデザインやレイアウトを作成し、原告から交付を受けた写真等をこれに組み込んで製版フィルムを作成のうえ印刷・製本をしたが、原告がその後も「A雑誌」を順次続刊する予定があることを被告に伝えたことから、その後は原告が被告と互換性のあるコンピュータを購入し、相互に電話回線で情報を送受信して作業効率を上げることになり、平成6年5月初旬に依頼がなされたVOL―2の印刷・製本に当っては、被告の担当者が原告に常駐し、原告のコンピュータを使用して原告側と協議しながら依頼に沿ったデータを作成し、これを使用して被告が製版フィルムを作成することになり、同年10月下旬に依頼されたVOL―3についても同様であった。
 以上の本件雑誌の印刷・製本については、原告と被告との間で契約書が作成されておらず、製版フィルムの所有権の帰属や保管について原告と被告の合意を記載した書面も作成されていない。

(3)ところで、一般に、注文者の依頼により雑誌の印刷・製本をする行為は請負に当り、その依頼を受けた者は、注文者の求めに応じて雑誌を印刷・製本の上、これを注文者に交付して請け負った仕事をすれば足り、これにより報酬請求権を取得する。しかし、請負人が請け負った仕事をする過程で自己の材料を使用して作成した物品は、それ自体として請負の目的物ではないから、契約当事者間でその所有権について別異の合意をするなど特段の事情がない限り、その所有権は請負人に帰属し、請負人がこれを注文者に引き渡す義務はない。
 そして、本件で問題とされている製版フィルムは、印刷工程において印刷物完成のために作成される中間生成物であるから、原則として印刷業者の所有に帰属し、契約当事者間でその所有権や交付義務について差異の合意をしない限り、印刷業者はこれを注文者に引渡す義務を負わないというべきである。
 たしかに、請負の過程で作成される中間生成物といっても、一時的に作成される図案等のように用済み後廃棄されることが予定されているものや、書籍の版下のように再出版されるときに再利用する可能性が想定されるもの、再び作成する場合にさしたる費用を要しないもの、制作に多額の費用を要し、又は作成すること自体が困難なもの等、再利用や費用等の観点から様々な態様が考えられるが、どのような場合であってもこれら版下・製版フィルムの類はいずれも請負契約の仕事を完成するために請負人がその材料を使用して作成した中間生成物にすぎず、当事者はその中間生成物の作成、交付自体を目的として請負契約をしているわけではない。また、これら版下等の作成に要する費用は通常請負代金に含められているが、その作成費用は請負人が請け負った仕事を遂行するために必要な費用であるから、これを注文者が負担するのは当然であるし、本件製版フィルムの作成に当り原告側で用意した写真が使用されたり、原告の創意・工夫等の知的効果が組み込まれているとしても、それらは完成して引渡される請負の目的物に凝縮されて反映されるものであり、そのことを当然の前提として契約がされていると理解されるから、これをもって原告が請負の中間生成物についてまで所有権を取得する根拠とはならない。なお、製版フィルムが作成される趣旨目的からすれば、印刷業者はその製版フィルムを独自に利用することができず、製版フィルムはそれ自体として格別利用価値のないものであるといえるが、印刷業者に製版フィルムを利用する独自の権利や利益のないこととその所有権の帰属とは別個の問題であるから、この点も原告の主張を裏付けるものではない。
 したがって、これらの版下、製版フィルムについて、注文者においてこれを再利用する必要があること、高額の作成費用を負担していること、版下等が注文者の創意・工夫等の知的成果を組み込んだ価値のあるものであることといった事情が認められるとしても、そのことが直ちに注文者の所有権を認める根拠となり得るものではなく、契約当事者間で注文者の所有とすることや注文者に引き渡すこと等が合意されていない限り、その所有権は請負人である印刷業者に帰属し、注文者が印刷業者にこれら版下等の引渡しを求める権利を有しているということもできない。
 以上の次第であるから、本件製版フィルムの所有権が原告に帰属する旨の原告の主張は採用することができず、ほかに本件製版フィルムが原告の所有に属すると認めるに足りる証拠はない。

■被告の本件製版フィルムの引渡し又は保管義務について
 (社)日本書籍出版協会及び(社)日本印刷産業連合会等に対する各調査嘱託の結果によると、印刷会社では、使用期間の短い新聞の折込チラシなどの場合には、通常印刷が終了した後2、3ヵ月程度で製版フィルムを廃棄しているが、雑誌を含む書籍等の場合には、再版時に製版フィルムを保管している印刷会社が印刷・製本を受注する成り行きとなることから、そのような場合に備える意味もあって印刷会社が製版フィルムを保管するのが通例であり、そのような場合には、印刷会社が製版フィルムを廃棄するときは事前に注文者の承諾を得るということも行われているように認められる。
 このように印刷業者が製版フィルムを手元に保管するのは、これを保管していることにより注文者から再版を受注をする可能性があるからであり、いわば製版フィルムの再利用と印刷の受注という双方の利益のために印刷業者が自らの判断でこれを保管していたものということができ、印刷業者が注文者の承諾を得て製版フィルムを廃棄することは、そうした双方の利益を反映した結果にすぎず、そのことから注文者が印刷業者に製版フィルムの引渡しを求める権利を有しているとか、自己の承諾なく製版フィルムを廃棄されない権利が保障されているといえるものではない。

■原告の請求について
 原告は、本件訴訟において本件製版フィルムを再度作成する費用の賠償を求めている。しかし、前記のとおり、本件製版フィルムは被告の所有物であるから、これを原告に引き渡す義務はなく、被告が原告にその引渡しを約束した事実もこれを認めることはできない。また、被告は本件雑誌の再版に備えて本件製版フィルムを保管することを原告に約束しているが、そのことから被告が原告に本件製版フィルム自体引き渡す義務まで負担したということはできないから、結局のところ被告の債務不履行により原告が被った損害は、本件製版フィルムを利用して本件雑誌を再版する等による得べかりし利益であり、被告に本件製版フィルムを作成し直すことまで求める権利はないといわなければならない。
 そうすると、本件製版フィルムの作成費用の賠償を求める原告の請求は、その点について判断するまでもなく理由がない(信義則により本件製版フィルム廃棄が違法と認められている場合でも、上記結論に異なるところはないから、これを理由とする原告の請求も理由がない)。

■被告の請求について
 原告が本件雑誌の印刷・製本代金の支払いのため本件約束手形を被告に振り出し、被告が同手形を支払呈示期間内に支払場所で呈示したことは前記のとおりであるから、これによれば、原告に本件約束手形金の支払い義務がある。この点、原告は、本件製版フィルムの引渡しと引換えに本件約束手形を支払う旨主張するが、原告に本件製版フィルムの作成、引渡しを求める権利がないことは前記のとおりであるから、採用することができない。

(3)結論
  よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却し、被告の請求は理由があるから手形判決を認可することとする。
 〔平成7年(ワ)第23552号損害賠償請求事件、平成8年(ワ)第70248号約束手形請求事件、平成9年(ワ)第25536号損害賠償請求事件〕

  本件について、上記判決後、高裁への控訴は見送られた結果、事実上結審とされた。

◇  ◇  ◇  ◇
【参考1】:上記判決の意識
 取引上の問題を法的に解決するケースは実際上は頻発するものではないが、先の昭和55年、平成2年の類似「判決」と併せ実質的には三たび印刷業者の主張が正当に評価された結果となり、判例の活用幅が広がったと言える。

【参考2】:「印刷データ」との関連はどうか?
 『印刷産業におけるデジタルコンテンツビジネスに関する調査研究報告書』(平成11年度:日本印刷産業連合会発行)〔本紙529号、530号で概要を掲載〕における下記「印刷データ」の取扱いに関する考え方(抜粋)を、上記判決と照らしてみるのも、新しいデジタル時代での所有権問題を理解するうえで有益と思われるので、あらためてここに紹介することとする。
(1)「印刷データ」と所有権
 「印刷データ」は、得意先から受注した印刷物を製作する過程において、印刷事業者によって作成される中間生成物である。有形物か無形の情報であるかの違いはあるが、請負契約の目的物である印刷物を完成させるための材料あるいは手段であるという点においては印刷原版とまったく差異はないため、原則として印刷データの所有権も印刷原版と同様に印刷事業者に帰属すると考えるのが一般的であろう。
 なお、ここで印刷データの所有権とは、当該印刷データが固定されているMO、磁気テープ、コンピュータのメモリーやハードディスクなどの媒体の所有権と、管理、取引が可能な意味での基本的権利(諸文献、使用収益件)を含む。
 また、印刷業者が印刷データの所有権を有している場合であっても、使用収益権については、著作権、肖像・パブリシティの権利、商習慣、信義誠実の原則等により権利行使が事実上制限されている場合が多い。」

(2)「印刷データ」に関する費用負担
 「得意先がデータに関する費用を負担している場合であっても、その事実をもって印刷データの所有権が得意先に帰属する根拠とはならないと考える。例えば、製版代は注文を受けた印刷物を製作するための製版フィルムを作成するにあたり、印刷事業者が投入する技術またはノウハウにかかる使用料もしくは加工料であり、製版フィルムそのものの対価ではないとされている。
 データ作成費用、データ処理料などいわゆる印刷データに関する費用についても、請負契約の目的物である印刷物の製作過程において、印刷データに関する技術加工の対価として計上されるものであり、印刷データの所有権移転の対価を意味するものではない。」

(3)「印刷データ」の保存義務
 「印刷データは取引完了後も消去せずに保存される場合があるが、その事実をもって、印刷データの所有権が得意先に帰属し、あるいは得意先からの暗黙の依頼によって印刷データが印刷業者によって保存されていると解すことはできないと考える。例えば印刷原版は、特定の印刷物の場合を除き、印刷業者の自らの裁量により、将来発生するかも知れない再版に備えて受注確保の観点から保存されるのが通常である。
 印刷データについても、再版受注時の費用節減ならびに各種デジタルコンテンツの制作など他目的利用にかかる新規受注などを見込んで、印刷事業者が独自の判断で保存する場合が多いが、これは印刷事業者が自ら印刷データの所有権行使の一例として行っているものであると考える。」

(4)「印刷データ」の処分権限
 「印刷原版の廃棄処分に当っては、得意先に事前に連絡をしたり、あるいは状況によっては得意先に引き渡している場合があるが、その事実をもって印刷原版の所有権が得意先に帰属していると考えることはできない。印刷原版の処分に当り印刷業者が事前に得意先にその旨を打診することは、あくまでも印刷業者の自由裁量に基づく行為であり、印刷データについても同様に理解して差し支えないと考える。」

【参考3―1】:平成2年3月22日判決「版下の所有権は印刷業者に帰属する」(1審)
〔東京地裁:売掛債権請求事件〕
●経過「原告A社は自社商品の販売とともに印刷物の作成も請負い、被告B社と取引をしていたが、B社の代金の支払いが遅延したためB社を相手取り地裁に訴えた。その裁判の中でB社は、A社に取引を打ち切られたことにより従来依頼していた印刷が不可能となったため、過去に遡ってA社が作製した版下の返却を求め、更にそれが不可能となったので、逆にその損害賠償請求の債権を主張、A社に売掛金の相殺を迫った。それに対し地裁はB社の主張を退けてA社の実質勝訴となった。」
●要旨「特段の事情がない限り、版下は印刷の原料の一種として印刷業者の権利に属し、発注者に引き渡すことを要しないとされるのが一般的慣行である。」とした。(→B社は東京高裁へ控訴)

【参考3―2】:平成2年12月26日判決「版下の所有権は印刷業者に帰属する」(2審)

●要旨「印刷の受・発注の関係は、印刷物の完成を目的とする請負契約の性質を持つものであり、印刷業者として発注に関わる印刷物を完成させ、これを発注者に引き渡すことによって契約に基づく義務の履行を終える。版下は、当事者間の合意、商慣習、その他特別の事情がない限り、これを発注者に引き渡す義務はない。」とした。
(「東京の印刷」より転載させて頂きました)


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